残るもの残らないもの
桜が咲き始めて、大人も子供も楽しそうに桜の写真を撮ったり、
眺めたり。
万人にとっての喜びっていうのはいいですね、春。
あまり春は得意じゃないけれど、
街行く人が嬉しそうなので、こちらも嬉しくなる。
喜びのお裾分け。
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雑誌「GINZA」の千葉雅也さんと朝吹真理子さんの対談が、
とっても興味深く、
特にデータで残っていない文化について触れているところに、
納得してしまった。
データに残らない流行というのは、不思議。
私が十代のときは、男の子がピンクを着たり、
ヘアピンやヘアゴムで前髪を縛るのが流行っていた。
学生時代の制服のカスタム(スカートを短くしたり、
腕のボタンと襟の第一ボタンはあけて、
ローファーはかかとを潰して履く。肩掛けかばん無理やりしょっていた)
は、セブンティーンとかに載っていたのを記憶しているが、
そもそもあの崩し方をだれがどうやって考えたのだろう。
そしてそれも紙媒体がもとになっているものだと、
もうデータとして読むことができないのかと思うと少し悲しい。
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いまは女の子がボーイッシュな服を着るのが流行っているけれど、
昔は男の子が細身の服や、ピンク色を身に着けるのが流行っていたと思うので、
この逆転というのがどうゆうものの現れなのか気になる。
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SNSで残るファッション・流行も便利だけれど、
昔のものはこのような形で残らないので、
頭の片隅に大事にとっておこうと思う。