残るもの残らないもの


 

桜が咲き始めて、大人も子供も楽しそうに桜の写真を撮ったり、

眺めたり。

万人にとっての喜びっていうのはいいですね、春。

 

あまり春は得意じゃないけれど、

街行く人が嬉しそうなので、こちらも嬉しくなる。

喜びのお裾分け。

 

***

雑誌「GINZA」の千葉雅也さんと朝吹真理子さんの対談が、

とっても興味深く、

特にデータで残っていない文化について触れているところに、

納得してしまった。

 

 

データに残らない流行というのは、不思議。

 

私が十代のときは、男の子がピンクを着たり、

ヘアピンやヘアゴムで前髪を縛るのが流行っていた。

 

 

学生時代の制服のカスタム(スカートを短くしたり、

腕のボタンと襟の第一ボタンはあけて、

ローファーはかかとを潰して履く。肩掛けかばん無理やりしょっていた)

は、セブンティーンとかに載っていたのを記憶しているが、

そもそもあの崩し方をだれがどうやって考えたのだろう。

 

そしてそれも紙媒体がもとになっているものだと、

もうデータとして読むことができないのかと思うと少し悲しい。

 

***

いまは女の子がボーイッシュな服を着るのが流行っているけれど、

昔は男の子が細身の服や、ピンク色を身に着けるのが流行っていたと思うので、

この逆転というのがどうゆうものの現れなのか気になる。

***

 

SNSで残るファッション・流行も便利だけれど、

昔のものはこのような形で残らないので、

頭の片隅に大事にとっておこうと思う。

 

 

 

f:id:kairi11:20210324132515j:plain