レイモンド・カーヴァー 大聖堂を読んで
人と人との心の交流、と書くと簡単だけれど、
実際に心を通わせることができるのは、
本当に瞬間的なものである。
どんなに長い付き合いでも(長い付き合いだからこそ)、家族でも(家族だからこそ)、
その瞬間は予期せず訪れ、
そしてあっという間に去っていく。
この物語は登場人物も3人と少なく、
ページ数も非常に少ない。
ただその簡潔な描写に含まれる、ユーモラスさ、
そして(これは訳者も指摘している通り)品位、
感動を体験すると、
大げさな描写や、饒舌さは、
何かを語りたい時ほど必要がないことを示してくれる。
※その雰囲気からか、なぜか盲目の登場人物は、
勝手に脳内でモーガンフリーマンでイメージされた。
人と直接触れ合うことの少ないこの時代にこそ、
読まれるべき物語だと思う。
https://www.amazon.co.jp/大聖堂-村上春樹翻訳ライブラリー-レイモンド-カーヴァー/dp/4124035020/ref=mp_s_a_1_1?adgrpid=56084106889&gclid=EAIaIQobChMIsZynqa72-QIVx1BgCh35RwcvEAAYASAAEgIx__D_BwE&hvadid=618472460396&hvdev=m&hvlocphy=1009333&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=15930295487151192225&hvtargid=kwd-472641786379&hydadcr=6122_13263009&keywords=レイモンドカーヴァー+大聖堂&linkCode=plm&qid=1662130917&sr=8-1
山手線で
まだ日が高い初夏の夕方に、
ガラガラの山手線に乗っていた。
これから始まる夜のための準備をしているかのような、眠たい夕方。
反対側の座席に、汚れたサンダルをはいて
大股をあけて寝ている南アジア系の男性がいる。
僕はスマートフォンで、ニュースを見ている。
時々画面に、西日がさして眩しい。
横にスーツを着た女性が座ってきた。
彼女は文庫本を取り出して読んでいた。
着いた駅でふと、南アジア系の男性は起き上がり
サッと電車を降りて行った。
降り立ったときに少し戸惑ったふうに見えた。
僕は彼が座席に残したリュックを見て慌てた。
届けようと思った矢先に、
南アジア系の男性の、横に座っていた若い男性が、
リュックをサッと手に取り、彼を追おうとした。
その途端にドアは閉まった。
リュックを手に、若い男性は困った笑顔をし、
「これ、どうしましょう」と僕に聞いてきた。
ふいに聞かれたことに困惑しながらも、
僕は少し考えた挙句、
「置いておきますか?いや、車掌さんに届けますか」と答えた。
彼は「そうですね、僕届けてきます」と、
爽やかに言い残し去っていった。
文庫本の女性は、しばらく去る彼の背中を見つめ
また本に目を戻した。
Kiss & cry
宇多田ヒカルの曲に、kiss & cryという曲が
あるのだが、これは元々エヴァンゲリオンの
テーマソングのBeautiful worldのB面の曲で
どちらかといえばマイナー曲なのかもしれない。(実際にApple musicのまとめでも宇多田ヒカルの「通な曲集」の方に入っている)
しかし、本当にエネルギッシュで、
色んなことを吹き飛ばしてくれる勢いのある曲で私は何回も何回も聞いている。
Bメロのテンポが特に最高で、
特に2番の歌詞がいい。
お父さんのリストラと、
おにいちゃんのインターネット、(ここは元は
「むすめさんのリストカット」)
お母さんはダイエット、ダイエット、ダイエット、、、
内容としてはまぁ結構深刻、
人によっては完全にヤラれてしまうシチュエーションなのだが、
それを笑い飛ばすかのような次に続く言葉。
みんな夜空のパイロット、
孤独を癒すムーンライト、
今日は日清カップヌードル。
締めの最後が、あのカップヌードルというのが、
いいし、そして結局家族でも恋人でも友達でも、
「夜空のパイロットなんす」つまり、
どんな関わり合いでも結局は、人は1人なのよ、1人という意味では皆同じ、という励ましにも取れる。
曲全体的に、やることやったらあとはもう天任せ的な感じに励まされ、個人的に勝負事の前に聞くようにしている。
なお、裏話として、kiss&cryはスケートの、
評点を待つ間のあの時間のことを言うらしい。
by wiki
この話をいつかアイブロウサロンのおねえさんにしないとと思っているので、備忘録として記しておく。
空は青く澄んで〜
ずっと健康体だったのに、
最近やれ歯医者だやれ皮膚科だ、と、
クリニックに行くことが多く参っている。
特にステロイドが原因で
口周りが荒れてしまったのが痛く、
たかが口周りと思って、戯けて見せても、
やっぱ鏡を見るたびに悲しい気持ちになるのは
中々しんどい。
お気に入りのベースクリームすら塗れず、
ベタベタの軟膏を塗りたくっても、
カサブタと体液の漏れが防げず、
治るのも時間がかかると言われたので、
しばらく戦いだなぁ。
そんな気持ちだったけど、
あるブログにただでさえ忙しいお仕事の人が、
新しい言語を習ったり、おしゃれに勤しんだり
しているのを見たら、私も負けてられないわ、
と思えたので、この気持ちを保存しておくためにメモ。
遠くから見つめるということ
アドレナリンについて
仕事を含む1週間はジェットコースターのようだと思う。
落ちることがわかっていながら、
来たる月曜日に怯え、叫び、
気がつくともう金曜日の夜。
落ちている間は、産毛は逆立ち、
心音はより一層音を立てて、
時の流れを早く感じる。
***
たまたま手にした雑誌の特集が
アドレナリン だった。
その中でも社会学者2人のin conversation
という名のインタビューが非常に興味深い。
「自ら危険を冒す行動、と定義できる
エッジワークは、ベースジャンピングのような肉体的アクティビティから、感情的および理知的な勇気までも含む。
恐怖心を受け入れ、境界線を超え、そして
不確かさを容認する大切さについて...」
***
気になる子に声をかけてみたり、
クライミングにチャレンジしたり、
ピアスを開けたり、タトゥーを入れたり、
胸元のあいた服を着てみたり、、
全て大なり小なり冒険である。
緊張は興奮に変えられると
宇多田ヒカルは言っているし、
上の記事で、恐怖もまた興奮に変換できると、スティーブン・リンも言っている。
「エッジワークはリスクから逃げずに、
受け入れる、ということです。」